映画レビュー：ナイブズ・アウト（Knives Out） ― 嘘と偽善が暴かれる屋敷劇の粋

2019年／監督：ライアン・ジョンソン／ジャンル：ミステリー・群像劇・サスペンス

作品概要

『ナイブズ・アウト』は、古典的なクローズド・サークル（密室）ミステリーの形式を借りながら、登場人物の人間性と現代的な社会観を鋭く穿つエンターテインメントである。裕福な推理作家ハーラン・スロンビーの遺産を巡る“家族崩壊の記録”を舞台に、ライアン・ジョンソンは巧みな語り口で真相の層を一枚ずつ剥ぎ取り、観客を最後の一手まで誘惑する。物語は伝統的な謎解きの快感を残しつつ、家族の虚飾、階級意識、文化的な偏見や偽善をブラックユーモアで暴く点が鮮烈だ。名探偵ブノワ・ブランの独特な推理スタイル、そして看護師マルタという“誠実さ”の象徴が物語の倫理的核となり、単なる密室劇では終わらない広がりを生む。

あらすじ

著名なミステリー作家ハーラン・スロンビーが、自宅の書斎で遺体となって発見される。警察は自殺を示唆するも、匿名の調査依頼を受けた私立探偵ブノワ・ブランが介入することで事件は再び動き出す。スロンビー家は表向きには名誉と伝統に満ちているが、その実態は金銭と体面に翻弄された歪んだ関係性の巣窟である。相続をめぐる利害関係が露わになる中、家族それぞれの秘密や嘘が次第に剥がれていき、やがて“ある小さな真実”が事件の鍵となる。ブノワ・ブランは鋭い観察眼と人間心理への洞察で断片をつなぎ、観客を騙しながらも納得の真相へと導く。

作品の魅力

この映画の魅力は幾重にもあるが、まず脚本の精巧さが光る。手の内を見せない巧妙な伏線配置と、回収のタイミングの妙が、観る者を終盤まで緊張させる。また、登場人物たちの“癖”が見事に設定されており、それぞれが単なる容疑者ではなく、現代社会の縮図として機能している点が秀逸だ。特筆すべきは、マルタというキャラクターの倫理的重心だ。彼女の「嘘をつくと嘔吐する」という設定は一見コミカルだが、物語が進むにつれて深い寓意を持つ装置として働き、誠実さと責任の重さを観客に痛感させる。マルタは単なる被害者でもなければ、加害者でもない。彼女の存在が、家族の偽善を相対化し、正義の問いを映画の中心に据える。演出面では、ライアン・ジョンソンのテンポ感とカメラワークが物語の調子を整える。コメディ的な間とサスペンスの緊張を同時に扱い、観客は笑いながらも終盤にかけて次第に追い詰められていく。セットデザインも巧妙で、屋敷の豪奢さと錆びた倫理観が視覚的にも鮮やかに対比される。

演技について

本作のもう一つの柱はキャストの力量だ。ダニエル・クレイグ演じるブノワ・ブランは、伝統的名探偵のステレオタイプをあえて滑らかに崩し、偏屈でありながらも温かい観察者として物語を牽引する。クリストファー・プラマーの存在感、ジェイミー・リー・カーティスやトニ・コレット、マイケル・シャノンらが演じる家族メンバーは、それぞれが持つ社会的背景と心の弱さを露わにし、群像劇としての厚みを加える。アナ・デ・アルマス演じる看護師マルタは、控えめながら強靭な芯を持ち、物語の感情的な軸となる。彼女の視線の揺れ、表情の微細な変化が、嘘と真実の境界線を語る重要な材料となっている。

音楽について

音楽はクラシカルな要素を織り交ぜながら、ミステリーのムードを巧みに構築する。ストリングスの使い方が巧妙で、場面のテンポに合わせて不安感を煽りつつも、決して主張しすぎない。特にクライマックスに向かうにつれ、音の帯が緊張を増幅し、観客の身体感覚に直接働きかけるよう設計されている。サウンドデザイン全体が推理のリズムに寄り添い、ラストの種明かしの満足感を高める補助線となっている。

こんな人におすすめ

古典的な本格ミステリーのトリックと現代的な風刺を楽しみたい人
群像劇の人物描写に興味がある人
ユーモアとサスペンスのバランスが良い作品を求める人
心理ドラマ的要素を含む“社会批評”としての娯楽映画を好む人

まとめ

『ナイブズ・アウト』は、巧妙に仕組まれたプロットと鮮烈な人物造形によって、古典的な密室ミステリーの快楽を現代的な皮肉と合わせ持つ作品である。結末のどんでん返しは観客に知的な満足を与えるだけでなく、同時に家族や社会が抱える倫理の脆さを突きつける。ミステリー好きにはたまらない謎解きの妙味がありつつ、単なるトリック映画に終わらない深みも備えている。笑いと不快が混じり合う独特のトーンを楽しめるなら、本作は現代の“寓話的推理劇”として極めて価値ある一作だ。観終わった後、あなたは登場人物の誰に同情し、誰に怒りを覚えたかを巡って長く語り合うだろう。それこそがこの映画が観客に与える最大の贈り物である。

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